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匿名とSNSと誹謗中傷と/パレードを読んで

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読書
画像引用:hibinohatena.com

映画化で話題の吉田修一の小説。都内の2LDKマンションに暮らす男女4人の若者達。「上辺だけの付き合い? 私にはそれくらいが丁度いい」。それぞれが不安や焦燥感を抱えながらも、“本当の自分”を装うことで優しく怠惰に続く共同生活。そこに男娼をするサトルが加わり、徐々に小さな波紋が広がり始め…。発売直後から各紙誌の絶賛を浴びた、第15回山本周五郎賞受賞作。

『パレード』を読みました。

シェアハウスで住居を共にする男女4人+サトル。

それぞれの視点でそれぞれの抱える心情が描かれており、最後には想定外のクライマックスが、、、

読みやすく、スイスイ読み終えることができました。

面白かったですが、クライマックスが唐突に来た感じがあったので、盛り上がりはまずまずといった感じだったかも。

(子供を見ながらだったので、個人的に読む環境が整ってなかっただけかも)

本書を読んで、印象に残ったのは『匿名』というメッセージ。

シェアハウスではそれぞれの居住者は「上辺だけ」の付き合いでお互いに踏み込みすぎずバランスを保って生活している。

2002年に発刊された本書では『チャットルーム』と表現されている。

いわゆる本当のチャットルームと異なるのが、名前や出身、親の名前などは知っていると。

『世間では一般に、この匿名であるということで、人間は本性をさらけ出すようになると信じられている』

『でも、本当にそうだろうか。もしも本当に私が匿名で何かをできるとしら、私は決して本当の自分などさらけ出さず、逆に誇張に誇張を重ねた偽物の自分を演出するだろう』

本当に残念なことですが、SNSによる誹謗中傷でテラスハウスの木村花さんがお亡くなりになられたニュースが世間を賑わしていた時期とかぶっていたので、考えさせられました。

匿名とは?

とく‐めい【匿名】 の解説

自分の名前を隠して知らせないこと。また、本名を隠してペンネームなどの別名をつかうこと。「匿名で投書する」「匿名批評」

と、goo辞書で解説されていました。

『個人が特定できない、認識されない』状況。

この『匿名性』が人間を社会的倫理観から解放させるのかなと。

・ごみをポイ捨てする。

・赤信号でも歩道を渡る

・ごみの分別をしない

・SNSでの誹謗中傷、、、

個人が特定されにくい状況であれば、あるほど、社会的倫理観から外れていくのかもしれない。

一方で、『匿名なら偽物の自分を作り出す』という状況も興味深い。

匿名性をはらみながら、他者と交わるとき、「承認欲求」を得るため、『演じている』側面も多いと思う。

理想の自分になるため、コミュニティの中に溶け込むため・認められるため、『演じて』いないだろうか。

自分ひとりだけ他者と違う行動をとるのは、圧倒的な意思が必要。

例えば、学校で仲の良いグループの友人みんながケータイを持ってきている。

もちろん、学校にはケータイを持ってきてはいけない。

いけないことはわかっているけど、一人だけケータイを持っていないのは嫌だ。

同調したい。

お前だけビビってんの?と思われたくない。

仲間外れにされたくない。

みたいなこと。

SNSと誹謗中傷

SNSでは先ほどの『匿名性』と『同調による演じる』が相互に作用し、苛烈性を高めているのだろうと思います。

ツイッターとかSNSって多くの人が利用していて多種多様に思えるけど、結構同じような思考の傾向の人がフォローしあってたりしますよね。

誰かひとりが賛同すると多くの人が賛同します。

逆に批判が始まると、これまた右に倣え。

同じことを言っても「誰が」「どんなコミュニティで」発する言葉かによって、一気に風向きが変わります。

そこに『匿名性』が社会的な倫理観のリミットを開放させて、普段の生活では発することのない言葉を使ってしまう。

そのコミュニティでは、同調を求めるために、『さらに強い言葉を』『さらに強い刺激を』と、どんどんエスカレートしていく。

こうやって、SNSでの「炎上」「誹謗中傷」は起こっていきます。

結局SNSって匿名性が保たれて、自由なことを発言できるように思えるけど、同調圧力によって発言に制限がある不自由な媒体なのかもしれません。

つながる人が多くなればなるほど、発言には細心の注意を払い、賛同を得られるような発言を『演じる』。

非面対のデジタル接点がさらなる高まりを見せていきそうな昨今ですが、リアルとデジタルをバランスよく使い分けないと。

自分自身はデジタルどっぷりは息苦しいなと思うので、うまく付き合っていきたいですね。

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